信仰心があっても以前に信仰心とはという日記を書いたことがあります。~~~~~以下引用~~~~~~ 毎日お寺にあるお墓に朝6時過ぎにお参りされる方がいます。 雨降りはさすがにお休みですが、晴れても曇っても、 暑い時寒い時、毎日自転車で通われていますので、大変熱心な方と 思っておりました。 ところが、その方と今日お話をしていたら、 「私は信仰心が無いので・・・」という発言が飛び出したので、 びっくりして目が点になりました。 傍から見るととても信仰心があるように思われるのに 何故でしょう。 ご本人によると「私は毎日お経を上げたり、 お寺参りなどをしないから」とのことです。 確かに国際的な基準からすると、佛教徒でありながら 「お経を上げたり、お寺参りなどをしない」のは 信仰心がないと思われるのかも知れません。 ~~~~~以上引用~~~~~ これは傍から見ると信仰心があるように思われる人でも、 自分では信仰心がないと思われているという話です。 多くの日本人が信仰しているのは、仏教ではなく、 日本教とでも言うべき先祖供養を中心にした教えです。 したがって、ご自身では信仰しているという自覚がないようです。 一方、「お経を上げたり、お寺参りなどをして」 自分では「熱心に仏教を信仰している」と思われている方の中に 意外に仏教から縁遠い方がいることも事実です。 仏教のついて深く勉強され、お寺参りやそれなりの行をされて、 周りからは非常に信仰心があると思われている方が 何故か仏門に入るための第一段階である「得度」も受けていない ことがよくあります。 「坊さんになったらとよく言われるんですが・・・」 と先日もそんな方にお会いしました。 「なったらどうですか」 と申し上げましたが、 さまざまな理由をつけて断られました。 仏教は2500年にわたって 人から人へ伝えられてきた教えです。 最近は、仏教の奥深くの部分まで 書物などによって知ることが出来ます。 したがって本人としては、仏教を理解したように 誤解されるのかもしれません。 しかし、その教えを本当に理解しようととすれば、 その流れに入らなければ解らないと思います。 縁があるように見えても、そうではない。 仏縁というものの不思議です。 コウユウ 最終更新日 2008年03月20日 |